【医療のはなし】平穏な最期を迎える選択

2018/02/28 お知らせ

むさし小金井診療所
医師 角 允博

もし食べれなくなったらどうすれば
寒くなる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。本日は人の末期の課題である、「ご飯が食べられなくなった時」のお話を書きたいと思います。人間は年をとったり、認知症が進行したりすると飲み込みが悪くなり、食事が食べられなくなります。そのような時、どうしていくか皆様はお考えありますでしょうか?胃瘻をする、鼻管を入れる、静脈から栄養のある点滴をする、などの方法もありますがあえて「何もしない」という考えもあります。
胃瘻や鼻管をつけることで神経難病の患者さんでその後の新しい人生の時間ができたり、脳梗塞の急性期に、栄養が回復して体力が回復しリハビリをしてその後の人生が開ける患者さんもいらっしゃいます。一方で高齢者や認知症の末期や癌の患者さんに胃瘻や鼻管をつけることで誤嚥性肺炎を繰り返したり、下痢をしたり体がむくんだり本人が苦しむ姿を見たり、意識がない中栄養のみ人工的に行われる姿を見て悲観してしまうご家族もいらっしゃいます。どちらがあっていてどちらが間違っているということはありません。ただ人生の終焉期にあり再起が望めない高齢者に「亡くなられてはいけない」「方法があるなら処置をしなければならない」とだけ考え胃瘻や鼻管を行うことには慎重に考えなければなりません。人の最期は基本的には本人が決めるべきだと思います。本人が決めることができる間にご家族はご飯が食べられなくなった時の意思を確認することが大切なことだと思います。

人生の最後をどう迎えるか
しかし、本人に意識がなかったり認知症が進んでが決めれなければ変わりにご家族が決めることになることも多いかと思います。ご家族も本人に何も栄養をしないで最期を迎えさせることはいかがなものかと思うこともあるでしょう。そのような時は本人はご自身が最期に栄養を希望するのか、ご家族自身ならどうしてもらいたいか、を考え選択することが大切だと思います。石飛幸三先生の著書〝平穏死という選択〞に「死を迎える患者は命を終えるから食べないのだって、食べないから死ぬのではない」という一説の紹介があり、はっと我に返る言葉です。診療所では本人やご家族が人生の最期を迎えていくに選択に迷ったとき、ご相談にのって一緒に考えていきたいと思っています。お困りの方が周りにいましたら是非、相談に来て下さい。